港めぐりツアー @ 長崎 2006.8.27.
2006年 09月 01日

『港めぐりツアー2006』、長崎に行って参りました。
門司港の翌日、博多駅から特急「かもめ」に乗って終点長崎駅へ。
この列車は長らく旧国鉄時代の車両を真っ赤に塗った「赤いかもめ」が活躍していましたが、
2000年春、日本と阿蘭陀の交流が始まって400年という記念すべき年にあわせて、
「白いかもめ」の新型車両にリニューアルしたそうです。
車体横にはかもめをイメージしたシンプルなエンブレムが刻まれています。

会場は、旧香港上海銀行長崎支店記念館。
南山手にほど近いこの辺りは幕末から明治時代にかけて外国人の居留地だったところで、 現在も多くの洋館が点在する異国情緒豊かな界隈です。
去年初めてここでピアノを弾かせてもらった時、響きの良さと雰囲気にノックアウトされました。
そんな場所で今年もコンサートができて嬉しかったです。


ちなみに僕が初めて長崎を訪れたのは1994年。
どうしても端島(軍艦島)を見たくて行ったのが最初です。
炭鉱で栄えて消えたいった小さな島の街。
少年の頃に観た公共広告機構のCMの映像が目に焼き付いていて、
それがこの島だと知っていつか行ってみたいとずっと思ってた。
振り返れば昔から島とか好きだなオレ(笑)
この小さな島に大正時代に建設された日本最初期の鉄筋コンクリート造の高層アパートを皮切りに、高層アパート群が次々に建設され、各棟をつなぐ複雑な廊下は通路としても使われ「雨でも傘を差さずに島内を歩ける」と言われたといいます。
実際に散策したけど本当に迷路みたいだった。(現在、島への上陸は禁止されているらしいです。)
僕はその当時、一枚の古い地図を片手に、この端島にいちばん近そうな野々串というところでバスを降りてふらっと港へ向かい、漁師さんに東京から来た学生ですと無理を言って安い手持ちの金で渡航してもらった。
懐かしい夏の冒険の旅であります。

僕が1994年と鮮烈に記憶しているのは、たまたま端島を訪れたのが閉山20年の年だったから。閉山して行く先も知れず、悲しみに立ち止まりながらも必死で生き抜こうとした人たちのメッセージが20年越しに聞こえてくるような気がしたのを今でも覚えています。
不思議だったのは、今では廃墟になってしまったその島に在るはずのない生活のぬくもりや人情が残照のように感じられたこと。おそらくこの島には住んでいた人たちの想いや魂が住み続けているのだろうと思った。
出来るなら栄えていた当時の端島で出張コンサートをやりたかった。
実は僕が書いた「キセキノハナ」や「いま、会いにゆきます」はこの場所もルーツの欠片だったりします。

そんな思い入れのある長崎での二回目の「港めぐりツアー」、
その本編ラストで弾いた「キセキノハナ」で花火が上がるというハプニングもありました。
さらにそのあと同じ空からざあざあと雨が降るという、まさに出逢いや別れの交差する思い出深い夜になりました。
みんな無事に帰ったかな?

偶然、中学時代の先輩が単身赴任で近くに住んでいるからと観に来てくださって、そのあと朝方まで約二十年振りの再会に杯を交わしました。
一瞬、詰襟時代の自分に戻った気がしました。
そんな長崎は僕にとって奇蹟を呼ぶ街とでも言っておきましょうか。

来てくれたみなさん、ありがとうございました。
次は函館です。
